• ジャンル   サスペンス ホラー
  • 製作年   2006年
  • 製作国  日本
  • 配給  ファントムフィルム
  • 監督 黒沢清
  • 脚本 黒沢清
  • 出演 中谷美紀、豊川悦司、西島秀俊、安達祐実、鈴木砂羽、加藤晴彦、大杉漣

スランプに陥り、担当編集者・木島(西島秀俊)の勧めで、東京郊外の洋館に越してきた女性作家・春名礼子(中谷美紀)。ある日彼女は、向かいの建物に出入 りするひとりの男を目撃する。男は吉岡誠(豊川悦司)という名の大学教授で、千年前に沼に落ち、泥の成分によりミイラ化した女性を極秘に保管していたの だ。礼子と吉岡の必然の出会い。以来、彼女の周りでは、不思議な現象が多発しはじめる。洋館の秘密、吉岡と木島の不可解な行動、そして自らの体の変調―さ まざまな事象がミイラの謎によって繋がれ、幾重にも連鎖する恐るべき事件へと発展していく…。


黒沢清が長年の夢だった怪奇映画をとうとう撮ってしまった。 個人的には黒沢作品は大好きなんだが、ここまで行ってしまうとはたして商業として成り立つのか不安だ。このLOFTもかなり客を置いてきぼりにしてしまう。今現在、怪奇映画をやろうなんて考える事自体リスキーだし、トビーフーパーのようにいばらの道を進んでしまっていいのだろうか。

本当に個人的な意見であれば、このまま無茶苦茶で出鱈目な映画を撮り続けてほしい所だが、日本の映画業界も資本原理主義に傾いている以上、そうも言っていられないだろう。そしてこんなレベルの評価で終わる監督でもないし、もっと評価されるべき人だと思うからこそ、最近の状況にもどかしさを感じてしまう。

LOFTも個人的な評価としては最高としか言いようが無い。色々な要素を詰め込めるだけ詰め込んでるが、怪奇映画の様式の中にしっかりはめ込んでいて、ラストではお決まりの衝撃シーンの後にクレーン撮影で引いていってそれで唐突に終わる。エンドロール無しで、そのままバーン!と終わってTHE END。 その後すぐに客電ついてカーテンが閉まるくらいの勢いがほしかったなぁ。

そして気持ちいいまでのご都合主義。素晴らしい。あぁこんなに都合が良くていいんだろうか。ストーリーが動き出したら誰にも止められない。破滅に向かって動き出してしまった。そうか、映画とはこれでいいんだ、と思ってしまった。ほんとに好きに撮ったなあという感じ。本人は「全く好き勝手にはやってない」って言ってたけど。

いやまぁそれはそれで解かるんだが。出鱈目に見えて、怪奇映画をやろうとしていただけだから。それを現代でやってしまうからこそ、好き勝手に見えてしまうだけだろう。

そして真骨頂とも言えるホラー描写も最高だった。ただ佇んでいるだけで何故こうも気持ち悪いのか。幽霊の足元がゆっくり消えていく所なんか、久々にゾクゾクしたなぁ。あれはレイジングケインの見間違いの所から発想しているんだな?と思い一人ニヤニヤしていたが。

本当に本当に最高なんだが、しかし、だからこそこれでいいのかと思ってしまう。黒沢清は一部のマニアを満足させるだけの監督なんだろうか。俺はそうなっている今の状況に残念で残念で仕方が無い。しかしやはりここら辺の問題は難しい。黒沢清がテレビに出ていた時、インタビュアーに「なんで黒沢さんの映画はこうもねじれていて、訳がわからないんですか?」と問われた時、「他の映画がおかしいんじゃないですか?私はただただ映画に忠実なだけです」みたいな事を言っていて、笑ってしまったけども、やはりそういう事なんだろうなと納得した。

時流や流行などお構いなしに、ただ実直に映画とは何なのか?を求める姿勢。これこそ映画監督が持っていなければならない倫理観だと思う・・・しかし・・・だがしかし・・・うーむ、難しい。

一番の理想としては、日本人全員が批評家的素養を身に付け、しっかりと映画の歴史を理解し、その上に立って評価し、論評し、その文化を豊潤なものとすれば、おのずと黒沢清は評価され、もっと出鱈目な映画が撮れるんだが、そんな状況は100%ありえない。

このもどかしさは実はLOFTのストーリーとも関わってくる。中谷美紀演じる主人公の作家は、編集者に、誰にでも解かる面白い恋愛小説を書け、と言われスランプに陥ってしまう。もともとはそういうエンターテイメントな小説を書く作家ではないという事だ。もうこれはこじつけでもなんでもなく黒沢清の心情としか言いようが無い。そして東京郊外の洋館に越してきた時、その洋館に何故かあった恋愛小説のプロットをパクって編集者に渡してしまう。この何故かあった恋愛小説のプロットというのが、アメリカ映画(ロバートアルドリッチ、ドンシーゲル、リチャードフライシャー、スピルバーグ、トビーフーパーなど)の比喩にしか思えない。

このもどかしさは、日本映画というものが、ヨーロッパ映画とアメリカ映画に引き裂かれて存在する奇妙な状況に事の発端がある。黒沢清もやはりそこに引き裂かれているからこそ、一般的に奇妙でちぐはぐな作品となり不当に評価をされたり、それが逆説的に個性となって海外で評価されるという事になる。

そして日本映画の状況は、映画が金になる、という資本の目に晒されてしまい(テレビ業界から)金が儲からなかったらダメな映画、という健全と言えば健全な状況になってしまった。

やはりもう黒沢清は海外で映画を撮るべき時期に来たと思う。今の日本の状況だと観客をつかむ事は難しいし、つかまされたと認識できる観客も減っていっている。これは、こうこうこうだからこの映画は面白いんだよ、と説明しても、でも俺は面白くなかった、ですまされる状況と言う事だ。批評的精神が無くなってしまった。要するに、思考でものを考えず、快不快の二択でしか作品を評価できなくなってしまったという事だ。

このような状況だと、黒沢作品のような映画は厳しい。映画とは反復芸術であるので、過去の映画、大きく言えば映画史というものを知っていればこそ映画を正統に評価できる。黒沢清自身も、映画に忠実であるから映画史的な反復の上で作品を作っている。だからこそやはり今の日本じゃダメになってしまう。

あぁいつかアメリカにでも行って、エンターテイメント作品じゃなく、映画史にのっとった活劇作品を撮ってもらいたいなぁ・・・