- 監督 ポール・グリーングラス
- 脚本 ポール・グリーングラス
- 出演 コーリイ・ジョンソン デニー・ディロン タラ・ヒューゴ サイモン・ポーランド デヴィッド・ラッシュ ジョン・ロスマン チップ・ジーン
2001年9月11日─午前8時42分、ニュージャージー州ニューアークからサンフランシスコに向けて、ユナイテッド93便が飛び立った。その直後、ハイ ジャックされたアメリカン11便がワールド・トレード・センター北棟に、続いてユナイテッド175便が南棟に激突。その時点ではまだ、ユナイテッド93便 の乗客乗員は何も知らずに穏やかなフライトを続けていた。到着先でのビジネスや、家族、友人のことに思いをはせながら...。やがてテロリストたちが動き 始める。何が起こっているのかすら分からず混乱する機内。無線から聞こえてきた犯人の声に戸惑う航空管制官たち。そしてアメリカン77便もペンタゴンに墜 落。錯綜する情報─しかし確かなのは、先にハイジャックされた3機がテロの道具として甚大な被害を出しているということだった。それを知った乗客乗員たち は確信し、絶望した。自分たちの機も、どこかのターゲットに向かっていることを...。「いま自分たちにできることは…?」彼らは地上と連絡を取りあい、 愛する者に最後のメッセージを残す。そして??極限状態の中で生まれた勇気と団結力を持って行動を開始した。「何もしなければ他の旅客機のように多くの犠 牲者を出す。このままでよいのか...」という思いを胸に…。
あまたあるドキュメンタリー風の映画の中で一番後味が悪い。というより、ドキュメンタリー風のレベルじゃないなこれ。どんなにドキュメンタリーを装おって いても所詮、架空の物語だという安心感があるから楽しめる訳だが、その一線を越えてしまっていて、あまりにリアルで物凄く欝だ。
しかしながらやはりこれは映画なんだろうな。アメリカという国は成立の段階からして、歴史感覚に乏しい。だから映画という媒体によって自国の歴史 を補強する必要があり、だからこそアメリカ映画は不動の地位を築いていると思うのだが、やはり日本人としては、911を物語化するのはあまりにも時期尚早 な気がしてならない。
だが映画単体の評価としては、これは面白い。徹底的なリアリティの追及というのはやっぱり勉強になるし、アメリカ映画特有の善悪二元論や、政治的 プロパガンダというのを徹底的に排除していて、あの時、何が起こっていたのか?という事だけを出来る限りリアルに描こうとがんばっている。
あらためてアメリカ映画の懐の深さに感心したなぁ。アメリカにとって大変な出来事であった911を、まだそんなに時間が流れてないのに映画化してしまうとはね。
アメリカの評価も様々なようだ。以下引用
批評を見てみると、「NYタイムズ」のマノーラ・ダージスは感動しまくり。
「映画が終わった時、観客の頬には涙がつたっていました。一組のカップルが無言でかたく抱きしめあっていました」
ワシントン・ポスト紙のコラムニスト、ジョージ・F・ウィルは「『ユナイテッド93』を観ることは国民の義務だ」とまで書いている。
でも、絶賛だけじゃない。
同じワシントン・ポスト紙のポール・ファーヒは、機内の模様は憶測にすぎない、つまりフィクションなのに、ドキュメンタリーのように見せていることは事実の捏造だと批判している。
たとえば、公式の調査では、最後まで乗客はコクピットに入れなかったと推測されているが、映画では最後に乗客がドアを破ってコクピットに突入してハイジャッカーと操縦桿の奪い合いになる。
しかも、その前に乗客は二人のハイジャッカーに襲いかかって、彼らを血祭りにするシーンまである。実際は何があったか誰にもわからないのに。
ハリウッドが実話を映画化すると、映画が脚色したことが、その後、事実として記憶されてしまうことが多い。ただ、『ユナイテッド93』は擬似ドキュメンタリー風なので、ドラマ以上に罪が重いかもしれない。
しかしまぁ911自体、ハリウッド映画のようだと言う人もいるし、事実と物語の境界とは一体何なのかと考えると思考の迷宮にはまり込んでしまう なぁ。オリジナルたる事実すら、はたして存在しているのだろうか。すべてはコピーの模倣によってリアリティなど死んでしまっているんではないか。実際の事 件でも映画を模倣するといった状況もあるし、911も、ね。
と言うかもう、これは映画自体の意味の変容の時に来てしまったんじゃなかろうか。
「誕生が囁かれてから100年、映画は、それがちょっと現実に似ていたために、たちどころによって現実に飼いならされ、去勢され、ひたすら現実を 模倣し続けるという道を歩ませれてきたが、そんな姿が映画の正体であるはずもなかったのだ。・・・中略 立場は逆転した。現実が映画を模倣する時が来た のだ。」黒沢清
・・・・映画はおそろしい・・・・
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